父の命日で築地本願寺の晨朝勤行に参拝しました。
今期は終活の講師含め複数の新規事業を立ち上げたことを報告してきました。
夏になるとお寺で過ごした嫌な思い出について考えさせられます。
小学生の時「夏休みの宿題を終わらせたら家族で遊園地に行こう」と母が言ってくれて、兄弟で頑張って宿題をやっと終わらせた時、「檀家が亡くなった」とお寺に連絡がありました。当然のごとく遊園地行きはキャンセルになり、私は泣きじゃくるしかありませんでした。
ほんの数時間お寺を空けたところで遺族に迷惑がかかることはなく、「家族での予定がある」と言えば今の時代なら咎められることはないでしょう。ただ、檀家にとって親を亡くして不安な時に頼りになるのは菩提寺の住職だけであり、父は3日間すべて檀家のために時間をとってお寺で念仏していました。
部活の試合であろうが、大切な学校行事であろうが、あらゆる予定がお寺の都合に合わせられては、「お寺の子やから当然やろ」とひと言で片付けられる理不尽さ。それを当時の私は受け入れられず、父にはかなり反発しました。そんなお寺嫌いだった男がいま生活のすべてを注いでお寺のために働いています。その一部を生きている間に父に見せることができたのはラッキーでした。
核家族化が進み、現代における家族観は変わりました。これからは菩提寺を持つ意識がない世代が増えていくことは明らかなので、お寺の人たちもネガティブ思考に陥りがちです。取材の現場ではお寺に届くさまざまな雑音や圧力を聞いてきました。当社は住職の代わりにそれらに答える仕事をしています。
「お寺はお布施を安くしてほしい」
→布施の金額がどのくらいなら毎年お寺に来れるのか?
「お坊さんの価値がわかりにくい」
→あなたの親を読経テープの葬儀で見送っていいのか?
もちろん住職にも生活があるので、檀家が亡くなったからといって四六時中遺族に張り付く必要はありません。しかし、悲しみに暮れる檀家に本当に寄り添える時というのはこんな時しかなく、住職には徹底的に寄り添う姿勢が求められます。変えがたい事実をコミュケーションツールを通して住職のサポートをするのが当社の事業です。
いまも不安を抱え、お寺の支えを待っている檀家が必ずいて、その檀家にどうアプローチできるかを悩んでいる住職がいます。全国にお寺は7万ヶ寺以上あるなか、毎日檀務に取り組む忙しい住職が当社を知る機会はないでしょうから、こちらから発信し続けています。自ら飛び込んだ世界の厳しさと優しさに触れながら、めげることなく働いています。
昨年は新たに17ヶ寺と広報支援のご縁をいただきました。忙しい住職に頭を下げながらお寺のイメージをもっと良くするために気合いを入れて営業しています。当社のことを知ったもらうためにも記事を「書いては届け、書いては届け」を繰り返し、今期で7期目。さらに新しいご縁をいただいて活動できることに感謝しています。合掌。
追伸
父が亡くなったときのブログです。
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